たくんがブログを散らかします。

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光と闇の調和について(古代人メモ)

皆さんこんばんま(´///ω///`)

 

今日も投稿しちゃいます(/ω゚\)チラッ

 

今、波動についてというタイトルで

いつもの如く、理屈を長々と述べているのですが

 

先にこちらの方が重要なので

アップしておきます(@_@)

 

光と闇の調和について

皆さんはどのようにお考えですか??

 

これはちゃんと説明できることです(๑º ロ º๑)

 

 

とてもシンプルです。

 

光と闇の調和とは

光と闇が同じ量だけ存在するということです。

 

つまり重要なのはバランスです。

 

夜空を思い浮かべてください。

 

環境汚染の影響等ももちろんありますが

 

都会の空と田舎の空では星の見え方が

まるで違います。

 

これは、都会は街灯などで明るいからですよね?

 

 

強烈な光とは

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このようにイメージされているかもしれませんが

 

光が一番輝くためには

同じだけの闇が必要なのです。

 

但しこれは

この世界においてや

私たち人間が概念として認識する

善悪に必ずしも当てはまることではありません。

 

善悪を光と闇に置き換えると

ややこしくなります。

 

なぜなら、善悪は概念であり

人によっても違ってくるので(認識の違い)

そもそものスタートがずれているのです。

 

特に覚醒しきっていない

今の状態では(@_@)

 

これは具現する世界にも

もちろん影響するので後述していますが

 

皆さんの魂においての話です。

 

皆さんの本来の話なのです(^_^;)

 

赤ちゃんは生まれた瞬間から

強烈な光を放っています。

 

生まれた瞬間は善悪の概念がないので

光と闇の両方をそのまま放射しています。

 

ですので、私たちにとっては

強烈な光だと感じるのです。

 

この解釈はこれからとても重要になってくると思います。

 

来月から突入する更なるカオスにおいて

皆さんは自分に向き合う作業の中で

光を輝かせようとするでしょう。

 

もちろんそれは良い事だと思いますが

 

闇が同じだけあることを認識した時に

強烈な光が自身の中で輝いていることを

初めて氣づくことになると思います。

 

光と闇

そこに善悪はありません。

 

同じだけバランスよく備わっています。

 

つまり、フラットに物事を見るということです。

 

光を意識しすぎると

自分が光だと思う方に偏ってしまいます。

 

これは楽観的になりすぎ

仏法でいう小乗二道(声聞・縁覚)の

傲慢な人に多いパターンです。

 

 

闇に捉われすぎると

そのまま闇が大きな存在となります。

 

とても悲観的になり

時には他人を攻撃したり

余計なものを生成してしまいます。

 

光も強くなりませんし

闇も大きくなりません。

 

同じだけ備わっていて

自分がそこにフォーカスしているだけで

全ては幻想です。

 

しかしながら

この幻想が因果となって

自身の現実をつくる

 

延いては

世の中をつくるのです。

 

全てはバランスが大切で

 

どちらにも流されすぎるべきでは

ないと思います(๑¯ω¯๑)

 

これは二極化につながります。

 

というか、もうこの二極化が始まっています。

 

情報の二極化

捉え方の二極化

フォーカスの二極化

 

どれを選択するも皆さんの自由ですが

 

ネガティブな捉え方をすればするほど

フォーカスする部分もネガティブになります。

 

その結果

ネガティブの波動を知らぬ間にまき散らす

ことに繋がるのです。

 

ネガティブな情報を持って

ポジティブなフォーカスの仕方

自己の中でポジティブな消化ができれば

 

ポジティブの波動を人に与えることになります。

 

エネルギーというものは

生命であり、伝播し、循環します。

 

これが因果というものであり

引き寄せということであります。

 

祈りそのものでもあります。

 

闇は常に存在している

それは自信の中に。

 

排除することなんて出来ません。

だって元々備わっているのですから。

闇があることを認め光を見つめること。

これが大切になってくると思います。

 

 

皆さんに

更なる氣付きと、光の報いがあることを

祈っております。

 

最後まで読んでいただき

ありがとうございました(๑•̀ω•́๑)b

 

おしまいける。